麟角堂創建遺址碑
「麟角堂」は、戦国時代久宝寺城主渋川満貞(しぶかわみつさだ)の創建といわれ、堀川屋敷に学者を招き、講筵を設けたことに始まる。天正3年(1575)安井定重(やすいさだしげ)これを復興し、堺の儒学者今村道和(いまむらみちかず)を招いて、孔子像をまつり、漢籍の講義があった。江戸時代には、伊藤仁斎(いとうじんさい)や東涯も招かれて講筵を開いた。大正2年安田覚三郎再び復興し、西村天囚を招いて開講、同11年には私立学舎の許可をうけて、漢学の講義を開いたこともあった。
麟角堂創建遺址碑
「麟角堂」は、戦国時代久宝寺城主渋川満貞(しぶかわみつさだ)の創建といわれ、堀川屋敷に学者を招き、講筵を設けたことに始まる。天正3年(1575)安井定重(やすいさだしげ)これを復興し、堺の儒学者今村道和(いまむらみちかず)を招いて、孔子像をまつり、漢籍の講義があった。江戸時代には、伊藤仁斎(いとうじんさい)や東涯も招かれて講筵を開いた。大正2年安田覚三郎再び復興し、西村天囚を招いて開講、同11年には私立学舎の許可をうけて、漢学の講義を開いたこともあった。