顕証寺(けんしょうじ)

顕証寺 山門 築地塀

顕証寺 山門 築地塀

顕証寺 本殿

顕証寺 本殿

長屋門付属西長屋・東長屋・渡廊

長屋門付属西長屋・東長屋・渡廊

15世紀に本願寺蓮如上人により西証寺として建立。寺内町の中核的寺院です。5月11日(蓮如忌)には圧巻の10万枚の華葩(けは:色とりどりの花型の紙片)が舞う法要が勤められています。毎月11日・27日にはお逮夜法要が500年近く勤められています。府指定文化財の建造物もあり、今もその歴史を伝えてくれます。
蓮如忌法要

蓮如忌法要

燈路まつり 舞楽法会

燈路まつり 舞楽法会

古くはこの地を橘島久宝寺といい、親鸞聖人の弟子だった法心が弘安三年(一二八〇)に建てた慈願寺があった。 文明二年(一四七〇)蓮如上人がここに布教し、後に信者によって西証寺、後の顕証寺(久宝寺御坊)が建てられた。この御坊を中心に周囲に二重の堀と土屏をめぐらし、街路は基盤の目のようになっていた。 このようにして、天文十年(一五四一)本願寺門徒衆は戦乱を防ぎ門徒の団結をはかる寺内町を作った。この町では御坊が一切の支配権をもち、久宝寺城主安井氏がこの権を委された。いわゆる中世末期浄土真宗本願寺派などの寺院の境内に発達した集落である。 顕証寺は、真宗西本願寺別格寺院で連枝の格式をもち、河内十二坊の総支配をつとめた。
「河内名所図会」 顕証寺
①本堂の建物は江戸時代中期の建物として、重要なものである。正徳6年(1716)4月1日顕証寺御堂再興、上棟の記録(寺日記)があるので、このころの建物である。【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室・八尾市郷土文化研究会、1998年)より抜粋】
②八尾市市指定文化財:長屋門・附属西長屋,東長屋,渡廊・表門・両脇築地塀・蓮如筆 蓮淳 実名法名仮名書出・蓮淳葬送中陰記・久宝寺村 惣百姓言上状・絹本著色親鸞聖人絵伝 【出典:『八尾市文化財情報システム』より】
春の顕証寺 本堂

春の顕証寺 本堂