久宝寺寺内町の成立

久宝寺寺内町の成立
蓮如上人が手がけた久宝寺のまちづくりは、蓮淳に至って完成されました。寺内町の成立は天文10年(1541)12月15日で、天文日記に「久宝寺、西証寺之制札認来候」と書かれており、その内容は不明ですが、寺内町としての特権を得ています。以後、町は人家も増え経済活動が活発となり、当時の代表的な自治組織として繁栄しました。

八尾街道の主要路
顕証寺が町の一切の支配権を持ちますが、顕証寺の創建に協力し、乱世の中で顕証寺と連携していた土豪・安井氏にその権が委ねられました。久宝寺寺内町は、摂津から天王寺、平野を経て大和へ通じる八尾街道の主要路にあり、また、旧大和川河畔に位置し、大坂から南大和へ通じる水上交通の要衝の地にあったこともあり、中・南河内の真宗信徒集団を束ねる拠点ともなりました。

西口 道標

西口 道標

東口 道標

東口 道標

安井道頓の碑

安井道頓の碑