久宝寺城址

久宝寺城址  
字(あざ)城土居(しろんど)と呼ぶ所、土居の一部が残っていた。東に“久宝寺城址”の碑がある。畠山満基の拠城と伝え、子満貞始め渋川氏を称したが、その子光重が安井氏と改めた。
安井定重、定正兄弟は織田信長に仕え、大坂石山合戦の際、石山本願寺の兵に攻められて共に戦死し、その末弟清右衛門定次が家をつぎ、久宝寺屋敷135石の請所として一色支配を認められた。

久宝寺城址

久宝寺城址